https://twitter.com/ARTAKANA/status/1217450600964583424
多くの場合のアンビグラムは、ただの対称な図形を**「文字らしくしていく」**ものです。
対して一部の作字・タイポグラフィは、そこにすでに文字らしく存在している文字を**「文字らしさから離してデフォルメ(変形)していく」**ものです。
これらは逆方向の矢印になっています。以下の図でいうと、多くのアンビグラムは外側から内側に向かう矢印で、一部の作字・タイポグラフィは内側から外側に向かう矢印です。
https://twitter.com/fourbthree/status/1656012673891573765
そのため、アンビグラムを制作するときに文字を装飾すると、可読性が落ちることも多いです(可読性が低いこと自体はよくないことではなく、多くの場合は可読性とデザイン性どちらを優先するかという選択性の話になります)。
「我流」。たとえば、文字をさまざまな色に塗り分けると、文字がばらばらに見えて可読性が落ちることがある。じゅうぶんな可読性が確保できているときにデフォルメ的な装飾を強くすることを考えることも多い。
しかし、うまくいくと「アンビグラムにするために字形が崩れてしまう部分」を「文字デザインの技法とそうなっている」ものとして説明する・認識させることができます。
この場合、作品が「作字・タイポグラフィ作品である」として見られるものになっているほど、アンビグラム的な処理を「そういうデザイン」として納得させることができると思います。
https://ambigram-lab.tumblr.com/post/164993431216
たとえばこの「愛の夢」はブラックレターのような文字デザインをほどこしています。これによって細部のアンビグラム的な処理を自然なものにしています。